既にマス・メディアの報道でご存知のことかと思われますが、神達彩花ちゃん(享年1歳4ヶ月)の悲報に際してこの度は多くのお悔やみのお言葉を頂戴しましてありがとうございます。
先ずは報告、そして御礼が遅くなったことをお詫び申し上げます。
昨年12月17日(日本時間12月18日)アメリカ、マイアミ大学ジャクソン記念病院にて5臓器移植をした彩花ちゃんは、マイアミ時間16日13時13分(サマータイム/日本時間17日2時13分)、父・良司君そして母・宏美さんの二人の手の中で息を引き取りました。
私たち有志一同は昨年11月に『あやかちゃんを救う会』を結成し、水海道や近隣市町村、そして茨城県の方々に多大なるお力をお借りして募金活動を開始しました。その輪はサッカーファミリーや彩花ちゃんと同じ年齢のお子さんを持つ方々の尽力もあり、急速に支援の輪は全国に広がり、茨城県庁で記者会見をおこなった11月16日からわずか2週間目にして1億3千万円もの目標募金額を達成することができました。
そして12月8日に渡米し、そこから9日目にしてドナーとの巡り会うことができました。多内臓移植は世界でも200例ほどしかない難しい手術ですが、小さな身体の彩花ちゃんは耐え抜き、手術成功は大成功となりました。
そのわずかな期間はまるで走馬灯を見ているかのようで、あるジャーナリストには「現代版のおとぎ話のようだ」とも言われるほどでした。
年が明け彩花ちゃんは1歳の誕生日となる1月10日に退院し、自宅療養を開始するまでに快復を見せました。その後、入退院を繰り返すこともありましたが、それは予想された範囲内のことで《3歩進んで、2歩下がる》と、少しずつではありましたが経過は順調に進歩しながらこの5ヶ月間を過ごしてきました。
しかしながら、まさに青天の霹靂と申せばよろしいのでしょうか、彩花ちゃんは5月13日から14日にかけての深夜に突然発熱し緊急入院したのです。その原因は移植した臓器の拒絶反応ではなく、胸のカテーテルからの感染症でした。
わずか2時間前までケラケラと笑い父親と遊んでいた彩花ちゃんでしたが、敗血症を引き起こし、そのショックから血圧が低下するなど危険な状態に陥りました。
心停止のたびに、医師と看護士は必死に心臓マッサージと人工呼吸を行い、その度に彩花ちゃんは再び鼓動を戻しました。両親はPICU(小児集中治療室)の中で彩花ちゃんを励まし続けました。「救う会」に寄せられた激励のメッセージを彩花ちゃんの耳元で両親は囁き、それに応えるかのように彩花ちゃんは容態を持ち直しました。危険な状態は3日にも及びましたが、両親、そして医療スタッフは不眠不休の寝ずの看病を続けました。容態が安定に向い希望の光が射しかけたそのときでした――。
16日午前8時頃から、再び彩花ちゃんの血圧は下がりはじめ、そのショックで心肺機能が低下し、またしても心停止、心肺蘇生が繰り返されました。ところが彩花ちゃんにはそれに耐えられる体力がもう残っていませんでした。
体内のいたるところで機能不全が始まっていたのです。逃げ場を失った水分が体中に水ぶくれをつくり、身体の先端は青紫色に変わっていきました。そして最後は治療のために繋げられていたチューブを外し、両親の腕の中で静かに息を引き取ったそうです。
主治医である加藤友朗先生もテレビ取材の中で「あとひと月かふた月で頑張れば帰国できたかもと……」と語っていらっしゃいましたが、それはあまりにも突然の悲しい出来事でした。
一番悔しかったことは、移植した臓器はしっかりと機能しており、直接の死因が日常のどこにでもあるばい菌からの感染症だったということです。多臓器移植は大変難しい手術といわれておりますが、今回の移植治療は失敗ではなかったと思っております。この移植を受けなければ、親子は同じ屋根の下で生活をすることすら叶いませんでした。多くの人のご支援、ご協力があったからこそ実現した多臓器移植ではありますが、家族にとっては本当に素晴らしい日々を過ごすことができました。彩花ちゃん、そして両親にとってもこの1年5ヶ月は壮絶な人生だったかも知れません。でも彼女は一日一日が戦いの日々で、みんなに愛されながらの喜怒哀楽が凝縮された太くて短くも良き人生だったと思います。
彩花ちゃんを失った直後、両親は自分を責めたりしました。これからも度々そんな念を抱くこともあるでしょう。ただ彩花ちゃんの死は「誰が悪い」とは言える死ではありありません。
これが彩花ちゃんの運命だったのです。
「自分達のエゴかもしれないがこの子の為にやれるだけのことはやりたい!」
これは「救う会」を結成する前、両親が言った言葉でした。私たちは親友の思いを適えさせたい。悔いは残させたくない。小さな命を救ってあげたい――。本当にただそれだけでした。そして皆さんの大きなご支援があって募金が集まり、辿り着いたマイアミで多臓器移植手術に成功することが出来たのです。
彩花ちゃんも、そして両親も本当に頑張ったと思います。
「親だからどうにか生きてもらいたいと言う気持ちは当たり前だ――」
「苦しんでいる人たちは他にもいるのに自分達だけ助かればそれで良いのか――」「救う会」発足当初は、激励と批判、誹謗・中傷……と様々な意見もありましたが、時間の経過と共に、批判は激励に変わり、受ける必要のない誹謗中傷もほぼなくなろうとしています。
それはこの5ヶ月間、支援していただいた皆様に恩返しできるよう、神達家族が親子3人で慣れない環境のなか、懸命に頑張ったからではないでしょうか。そして、その姿は日本全国の皆さんの心に、何かを響かせることができたと信じております。
彩花ちゃんが亡くなる約2時間前、余力僅かな彩花ちゃんに医療スタッフが処置を施して心拍も戻った後のことです。電話の向こうで父親の良司君が言いました。
「会長、彩花頑張ったよね、もう楽にしてあげてもいいかな……」
良司君から聞いた最初で最後の泣きの入った弱気な言葉でした。親として、成すべきことは全てした後に、唯一、私にしか言えない言葉だったのだと思います。
私は言いました。
「もうあとは彩花の生命力に委ねるしかないよ――」
二人で泣きながらの国際電話。私はそんな言葉しかかけられませんでした。
その2時間後、彩花ちゃんは天使となりました。
それにしても私達は、彩花ちゃんにずいぶんと成長させてもらった気がしてなりません。
私たちは悲しい知らせが入るまで、元気な姿で帰国しご支援していただいた方々に元気な彩花ちゃんを見ていただきたいと思っておりました。そして彩花ちゃんの生命力は絶対だと信じておりました。
しかしながら、待っていたのは厳しい現実でした……。
里帰り出産で奥様の実家、岐阜で生を受けてからまだ踏みしめていないこの茨城の地に帰ってくること。そして「救う会」を発足し、水戸にある県庁での記者会見を終えた帰り道に見た、小貝川の河川敷に生い茂る優雅な《ススキ》を家族3人で散歩する姿を夢見ておりました。
全ては叶わぬ夢になりましたが、彩花ちゃんは私達の心の中でずっとずっと生き続けてくれることでしょう。
彩花ちゃんは、記憶と共に、大きな《愛》を残してくれました。両親が帰国する日程も26日に確定し、お別れ会も27日に開催できるよう只今準備を進めている状況です。
「救う会」としてもここまで築いてきた活動の中で、他で活動していた救う会の手助けをした経緯もあり、規約にうたわれている収支報告をもって「会の解散」という運びにはしたくないという思いがあります。
彩花ちゃん、そして「あやかちゃんを救う会」の活動を通して、私たちは臓器移植により多くの人たちが幸せになっていることを知り、臓器移植が出来ず苦しんでいる人がいることを知りました。さらに《臓器移植先進国=アメリカ》の現状を目の当たりにし、日本の移植医療がいかに遅れているのかを知りました。
残された両親と共に、私達救う会もまだまだ活動を続けたいと思っております。
当然のことながら、支援していただいた皆様に対しても失礼がないよう、収支報告をおこないます。また余剰金につきましては、臓器移植等の病気で苦しまれている方にご支援していければと思っております。また、それを円滑におこなえるべく見識者からのご意見を参考にさせていいだき、「あやかちゃん基金」(仮称)の設立を考えております。いずれにしろ現行の「救う会」としてやらねばならないことを最優先しながら活動を続けます。
最後になりますが、今後も彩花なき両親、そして「あやかちゃんを救う会」に対して温かい目で見守っていただければ幸いです。
このような報告になったことが本当に悔しいですが、この度は皆様より大きな、大きな善意を頂き、また絶大なるお力を貸してくださったことに両親、そして救う会一同、心より感謝をいたします。
本当にありがとうございました。
あやかちゃんを救う会
会長 戸 塚 一 彰
会員 一同